イエローマジックオーケストラ(日本盤)
11/25/78発売
国内売上108,538枚(発売~1997年)
オリコン最高順位不明



Computer Game/Theme For The Circus
作曲:YMO 編曲:YMO
かつてのATARI社のアーケドゲーム「サーカス(風船割りゲーム)」そのまんまの音です。SEは細野氏がKORG PS-3100で自力で作成。このオープニングの衝撃的なサウンドが多くのYMOチルドレンやYMO中毒患者を生むことになる。(笑)オシレーター丸出しのサウンドは冨田勲氏などの当時の多くのシンセ音楽家から嫌われた、というか理解されなかったらしい。でも、その冨田氏の弟子(アシスタント)であった松武秀樹氏(冨田氏のマネージメント会社インターパック所属)が後にYMOのゲストメンバーとして参加するとは奇遇ですね。松武氏は子供のころから機械イジリが好きなコテコテの理系人間と思われがちですが、父親はプロのサックス奏者(松武静夫氏)だったこともあってか、本人も学生時代はブラスバンド部に所属してトランペットを吹くなど、音楽センスはもともとあったんですね。大阪万博でスイッチトオンバッハを聴いて以来シンセ音楽に興味を持ち、父親の伝手で冨田氏のアシスタントになった後、2000万の借金をして独立し、MAC(Music Advatising Corporations)を設立し、当時約700万円したというあの伝説のMoog3Cを購入。YMOが使用したシンセ機器はメンバーの私物も一部使われたようですが、ほとんどは当時、MACからのリース品でした。松武氏は何かあるたんびにメンバーやスタッフに「機材引き上げるぞ」と言って脅していた?とか。(笑)

Firecracker
作曲:マーチン・デニー 編曲:YMO
マーチン・デニー氏の「Firecrackers」のリミックスです。コレがやりたくてYMOが結成された。1978年2月19日、細野氏のソロアルバム「はらいそ」の「ファムファタール」のレコーディングで3人が顔を合わせたその夜、細野宅に呼ばれ、コタツの上にあったおにぎり(みかん説もある)を食べながら行われたと言われる「YMO結成の儀」で細野氏がメンバーに見せたノートには「マーチン・デニー氏のファイヤークラッカーをコンピューターとシンセを使ってディスコ調にアレンジして全世界でシングル400万枚売る」と書かれていた。実際には最大のヒットを記録したアメリカ国内の売り上げ枚数が60万枚程度と言われている。全世界総数は不明だが、発売国は計33カ国だった。アメリカでファイヤークラッカーがヒットしてからマーチン・デニー氏から「とりあげてくれてありがとう。そしてチャート入りおめでとう。」という内容の電報が届いたらしい。このバージョンとは別テイクでコンピューターを使わずに演奏した人力版ファイヤークラッカーも録音したようですが、細野氏が気に入らず廃棄したとかなんとか。因みにこの時期に録音された音源で後に公開されたものには「InDo」がある。教授はお互いのマネージャーが知り合いだったことがキッカケで細野氏から「ボクを踏み台にして世界に羽ばたいて」という殺し文句でYMOに誘われたという。細野氏の掲げた400万枚という数字は単なる冗談だったみたいですが、教授は「数字に拘ることに違和感を持った。」としながらもYMOに参加した理由は「先進的で面白いことをやりたい」ことや「世界的成功を目指す」ことだったらしい。因みに当時の教授のあだ名は「アブ(水島新司氏の野球漫画に登場するあぶさんに似ていたから)」でしたが、レコーディング中にユキヒロ氏が教授から様々な音楽的指導?を受けたことにより"教授"と呼ぶようになったらしい。ユキヒロ氏はケンゾーの服を着てドラムを叩くようなオシャレ人だったようですが、その頃の教授や細野氏の容姿は長髪&草履姿が定番だったので、YMO結成後はユキヒロ氏が指導?して少しはマシになったらしい。それでも結成間もないころのYMOはこんなにダサかった。(汗)

Simoon
作詞:クリス・モスデル 作曲:細野晴臣 編曲:YMO
エフェクトのかかったボーカルは橋本俊一氏。シムーンとは「熱波」のこと。細野氏曰く、イメージとしてはスターウォーズのR2D2とC3POが砂漠を歩いている感じだそうです、細野氏っぽ~いシンコペーション(人間のノリを再現するためにMC-8の数値をずらす手法)を使った曲です。南国に行きたくなる。(笑)この年の4月、細野氏は横尾忠則氏とインド旅行をした影響があると思われる。尚、細野氏のアルバム「はらいそ」と「コチン・ムーン」のジャケは横尾氏によるもの。さらに驚くべきことは細野氏は横尾氏をYMOメンバーにする予定だったという。横尾氏がYMO結成の発表会見の日に何故か気が向かなかったので会場に行かなかったらYMOメンバーから外されたというのが定説ですが、本人曰く、実際は仕事の関係で時間に間に合わなかったものの、すぐに行けるように髪の毛はテクノカット、服装はタキシード姿で仕事してたとかなんとか。それもウソ臭いですが。。。(笑) 但し、結成会見用に用意されたタキシードは今でも所持している模様。横尾氏は細野氏よりも早い時期からクラフトワークを聴くなどデザインアートだけでなく音楽センスもあった?ようです。 尚、YMOが結成されるキッカケとなったのは細野氏がアルファレコード村井社長からプロデューサー契約の話を持ちかけられて、世界に通用するアーティストを作ろうということで意気投合し、とりあえず何かユニットを作ることになったものの、当初は実際にコンピューターを使って音楽を作るという確信もなくメンバーは流動的で誰でもよかったらしい。候補者としては林立夫氏、佐藤博氏、矢野誠氏などもいたようだが、いずれも実現には至らなかったようである。他にもマナ(立大の後輩)と林氏の3人でイエローマジックカーニバルのユニットを組む計画もあったようですが、林氏に拒否され細野氏はショックを受けたらしい。その後、マナは林氏のプロデュースによる「イエローマジックカーニバル」でシングルデビューしている。但し、林氏はユキヒロ氏とは対照的にドンカマに合わせるのが嫌い?苦手?なドラマーだったようです。で、最終的に残った人物がアメリカンロックや民族音楽に強いベーシストの細野氏、ミカド在籍時に海外活動の経験もあるヨーロッパポップス派のドラマーユキヒロ氏、芸大出身でクラシック音楽理論に精通したキーボードアレンジャーの教授というバランスの取れた?(ある意味バラバラの)メンバー構成で結果オーライとなった。ユキヒロ氏曰く、細野=天才、坂本=鬼才、ボク=凡人(太鼓持ち)なんだとさ。

Cosmic Surfin'
作曲:細野晴臣 編曲:YMO
細野氏版とも言えるようなエキゾチックなコズミック。フュージョン的でライブでのイメージとはかなり異なります。この曲のオリジナルはYMO結成以前に細野氏の他、山下達郎氏、鈴木茂氏により作られた「パシフィック」というアルバムに収められている。何故かその曲の方がピコピコ度が高いのが興味深い。ちなみに、その曲は後に「ポリフォニックス」という名義でシングルカットもされている。アレンジがし易い曲なのか、初期の頃のライブでは毎回異なったアレンジで演奏されグルーヴ感満載であった。

Computer Game/Theme For The Invader
作曲:YMO 編曲:YMO
言わずと知れたインベーダーですけど、TAITOのアレとはちょっと違います。最初はゲーセンで実際の音を盗み撮りして使おうとしたがやっぱそらマヅいってことでPS-3100で作ったらしい。(笑)この頃のYMOの3人は毎晩のように朝までカフェバーとかでインベーダーゲームに夢中になっていたらしい。教授曰く、ゲームでたくさんのお金と時間を費やしたが、人生とはそういうものだと悟ったらしい。(笑)

Tong Poo
作曲:坂本龍一 編曲:YMO
坂本作品の決定版。今でも人気あり。LP版はヘッドホンで聴くとドンカマの音が小さく聴こえる。ミキサーの手違いにより入ってしまったらしい。それでも発売するいい加減さ。(笑)この曲のタイトルは、フランスの映画監督ゴダールの同名の作品から来ている。「La Femme Chinoise」「Mad Pierrot」も同じ。因みに、カラオケ店に何故か「東風」があったと言う人がいますけど、ソレは矢野顕子さんのアルバム「ごはんができたよ」に入っている歌詞付きバージョンだと思いますよ。因みに、まだあんましウレなかった初期のころのYMOは矢野顕子さん、大貫妙子さん、南佳孝さん、サーカスなどのバッキングも担当していた。

La Femme Chinoise
作詞:クリス・モスデル 作曲:高橋幸宏 編曲:YMO
無国籍的音楽の代表曲。メンバーに言わせると、この曲には顔がないらしい。どういう人が作っているのかが聴き手に分かり難いらしい。匿名性をウリにしていた初期のYMOには都合のいい曲であったようです。ギターは高中正義氏。倍音が多いと言われているユキヒロ氏の独特のボーカルはその後「フーマンチュー唱法」と呼ばれるようになった。細野氏曰く、ボーカルバンドとしてもYMOはイケるんじゃないかと感じるきっかけになった曲。因みに、フランス語の声は江部智子(旧姓)さん(←当時アルファーレコード社長秘書、天然オーラを放つ個性の強い人だったらしい)です。社員を使って経費を浮かすアルファー。(笑)  

Bridge Over Troubled Music
作曲:YMO 編曲:YMO
短い曲です。ま、次の「マッドピエロ」へのつなぎってことなんでしょうな。曲名はサイモン&ガーファンクルの名作「Bridge Over Troubled Water - 明日に架ける橋」をパクった?(汗)

Mad Pierrot
作曲:細野晴臣 編曲:YMO
なんかいい感じの曲。一連のゴダール3部作としてメンバーから「細野さんも何か作ってよ」的な感じで付け加えたられたらしい。この曲には明らかにボコーダーを通したボーカルが入ってるんですが、誰が作詞したのかは不明。因みに、ファーストアルバムで使用されているボコーダーはコルグVC10でメインで、セカンドアルバムからローランドVP330が使われ始めたらしい。ローランドとしては一刻も早く自社のボコーダーをYMOに使ってもらいたかったのか、セカンドアルバムの録音時はまだ試作品だったらしい。尚、この曲は超初期のライブで演奏されてたことがあります。参考までにYMOの初ライブは1978年10月18日芝郵便貯金ホールで行われたFM東京「サウンドカーニバル」の収録だった。

Acrobat
作曲:細野晴臣 編曲:YMO
マニアックな曲。DEVO系。とぼけた感じがなんともよいです。これでもかってくらいにお遊び感が炸裂してるので米国盤ではカットされちゃったようです。(笑)



★アルバム解説★
YMOのデビューアルバムです。当初レコード会社から発売を拒まれたという曰くつきアルバム。(笑)一般的に国内盤と米国盤の2種類がありますが、国内盤は米国盤発売後に生産中止したのかCD時代になるまで入手困難でした。米国盤の方が大規模にミックスダウンされているのでミーハーな音好きな人には米国盤の方が向いているでしょう。細野氏の影響が強く、このころはまだ、ハリー細野とイエローマジックバンドなどという呼び方もされてた。アルバム内容は、全体的にアジア+ディスコ+フュージョンが混じったような感じです。それまでソロのエキゾチック路線で惨敗が続き、もう音楽をヤメて出家の道も考えたという細野氏が心機一転ディスコという万国共通のヒット要素に目をつけた所にポイントがあります。フュージョン臭さが残るのは、当時、アルファーレコードがフュージョンレーベルだったからであります。アルファー所属の同時期のバンドとしては「カシオペア」が存在します。当初、YMOが模範としたアーティストはジョルジオ・モロダー、クラフトワーク、ディーボなどが挙げられる。ディーボの「退化」に対してYMOは「突然変異」を強調した。キャッチフレーズは「頭クラクラ、溝落ちワクワク、下半身モヤモヤ(踊らずにはいられない、ハートにくる、前頭葉マッサージ)」 頭は知性、溝落ちは情感を意味するらしい。日本ではあんまし売れなかったファーストアルバム(初回プレスは約2000枚)ですが、アメリカやイギリスでは「ファイヤークラッカー」がディスコブームとマーチン・デニー氏の曲ということも重なってヒットした。「東風」も海外では「イエローマジック」という曲名で発売され人気曲となった。バンド名の「イエローマジック」の由来ですが、細野氏曰く、「西洋のホワイトマジック(善)、ブラックマジック(悪)の考え方の中間にイエローマジックがあってもよいのではないか」という発想だったようです。コンセプト的には「欧米人から見た東洋に対する誤解・偏見」を逆に面白がっていたところにあります。その代表例が「ファイヤークラッカー」となりました。国内盤&米国盤共にB面はノンストップです。国内盤のジャケは脇田愛次郎氏によるアールデコ調のデザインとなっている。アルバムの帯には「クラフトワークが脱帽し、ディーヴォが絶賛した」と書かれていた。アルバム制作費は800万円。当時としては贅沢な方だったようである。因みに、初期のYMOのシンセ楽器と言えばARP OdysseyPolymoogProphet5Roland VP330Jupiter4MoogIIIcEmu ModularOberheim 8VoiceUltSound DS-4&Pollard Syndrumなどがライブではお馴染みですけど、スタジオではKORG PS-3100/VC-10MinimoogMultimoogEMS VCS3なども使われてたようです。