浮気なぼくら
03/24/83発売
国内売上198,482枚(発売~1997年)
オリコン最高1位



◆君に胸キュン
作詞:松本隆 作曲:細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一 編曲:YMO
やってくれます、YMO。いくらレコード会社のため、といってもここまでやるとは。。。(笑)何がすごいって、プロモビデオがこれまたスゲエ。必見です。ちなみに、グラフィックデザイナーの立花ハジメさん(元プラスチックス)によるプロヂュースヴィデオです。カネボウのCMテーマ曲にも使われ、シングルカットされた。当時、"胸キュン"という言葉が巷で流行したが、現代社会ではもはや死語か?(笑) 歌詞に出てくるイタリアの映画とは1963年公開の「狂ったバカンス」のことだそうで、曲全体のコンセプトがこの映画らしい。曲自体は今でもVocaloidとかでカヴァーする人たちがちらほらいるので現代人にも知名度は高い。因みに、この曲のオリコン最高位は2位。奇しくもそのときの1位は細野氏が作曲した松田聖子さんの「天国のキッス」。尚、この曲はテレビ出演時の演奏ではユキヒロ氏はボーカル(ギターは持っただけ?)でドラムは全てリンドラム(LM-2)で行われた。

◆希望の路
作詞・作曲:高橋幸宏 編曲:YMO
YMOっつーか、ユキヒロ氏のソロつった方が早いかも?

◆Focus
作詞:細野晴臣・ピーターバラカン 作曲:高橋幸宏・細野晴臣 編曲:YMO
当時、何かと話題に上ることが多かった週刊誌「フォーカス」のことをズバリ指してます。マスコミ嫌いなのにそれを多いに利用するYMO。(笑)

◆音楽
作詞・作曲:坂本龍一 編曲:YMO
名曲です。けっこう世代を超えて知ってる人がいる。(←拍手)生みの親の教授もお気に入りの曲。「東風」の次に好きなんだとさ。ちなみに、この曲は娘の美雨さんのことを歌った曲だそうです。ドラムはキディランドで買ってきたオモチャのドラムを使用しているらしい。Wild Ambitionsでも使われたとか。

◆Open Your Eyes
作詞:高橋幸宏・ピーターバラカン 作曲:高橋幸宏 編曲:YMO
これまたユキヒロ氏のソロですな。つーか、歌謡ポップス路線なんでどうしてもそうなりますよね?それゆけ、ユキヒロ氏!って感じです。

◆以心電信(予告編)
作曲:高橋幸宏・坂本龍一 編曲:YMO
次作の「サーヴィス」で完全に発表される「以心電信」の予告編です。とても短いです。わざわざ予告編まで入れるとは、よっぽど早く知らせたかったのでしょう。

◆Lotus Love
作詞・作曲:細野晴臣 編曲:YMO
この曲の出だしの音、あのロニ・サイズさんがサンプリしてます。何でまたこの曲なんだ???世の中って分からないもんですねえ。

◆邂逅
作詞・作曲:坂本龍一 編曲:YMO
あー、こんな曲もありましたねえ、という感じです。ちなみに、邂逅は、「かいこう」って読みます。意味は忘れた。(汗)そんなことより、散開ライブでこの曲を演奏してたとき、ステージがエレベーター式に上がってきてグラグラ揺れてて気がきぢゃなかったのを覚えています。

◆希望の河
作詞:高橋幸宏 作曲:高橋幸宏・坂本龍一 編曲:YMO
この曲、なんかよいですねえ。歌謡曲と言えども、なんかYMOっぽい。カラオケにあったら是非是非歌ってみたい。おじさん3人でボート漕いでると想像しただけで。。。(笑)なお、曲はテレックスの「Something to Say」をマネたという説がある。

◆Wild Ambitions
作詞:細野晴臣 作曲:細野晴臣・坂本龍一 編曲:YMO
歌謡曲路線のアルバムですが、この曲だけ異色の曲となってます。なんと、YMO全作品中、細野+教授の両氏による凶作?ぢゃなくて共作はこの曲だけです。記念すべき作品となっております。因みに、このアルバムのマスターテープは「BGM」と同様に再生できる機器が今はもうないため廃棄処分されたらしい。(涙)



★アルバム解説★
てっきりもう解散かと思っていたら、突然出たこのアルバム。なにやらタイトル名を聞いた瞬間、やぁ~な予感がしましたが、その予感が的中。ついに歌謡曲に走っちゃいました。(汗)実は、YMOの3人は81年でYMOを解散するつもりだったようですが、81年にやりたい放題のことをやっただけにアルバムの売れ行きは前年に比べるとガタっと落ちてしまったため、レコード会社に対して恩返し?のつもりでこのアルバムを出したのかもね。(笑) で、確実に売れることを条件にしたため、なんと路線が「歌謡曲」になってしまったのです。でも、いやいやながら?作った割にはさすがオリコン1位復活。YMOの面目も立ったってわけです。前作までは「先進的音楽」ということを基本にしてきたYMOですが、このアルバム以降は全く考えを変えて、事実上、YMOは名前を借りただけのフツーのポップスバンドとなります。ま、でも、なんだかんだいいながら、ちらほらよい曲も混じってます。(←フォロー)音楽評論家の中にはこのアルバムはコンピューター&シンセを使うのが当然となった現在のJポップアルバムの元祖的存在などと言う人もいる。但し、細野氏と教授はこのアルバムは歌謡曲モノとは考えていないらしい。ま、専門的な音楽の構成や技術面から言えばそうなのかもしんないですが、主宰人には歌謡曲にしか聴こえないんすけど。。。(笑)このアルバムではE-BOWでお馴染みのビル・ネルソン氏が全面参加している。プログラミングは松武秀樹氏から藤井丈司氏にバトンタッチ、ドラムはリンドラムを多用している。このアルバムからプロデューサークレジットが「細野晴臣+YMO」から「YMO」に変更された。 ジャケの写真で教授の髪の毛が短いのは映画「戦場のメリークリスマス」に出たからです。関係ないですけど、教授はラロトンガ島での撮影のとき差し入れのうなぎをビートたけしとジョニー大倉に全部食べられてしまい泣いたそうです。(爆)因みに、アルバムを1枚も発表しなかった82年はYMOは一体何をやっていたのかっつーと、ビートたけしと仲良くなった教授の伝で、オレたちひょうきん族とかザ・マンザイ系の番組によく出てました。出演名義は「トリオザテクノ」でした。他に、変わりダネとしては糸井重里氏の紹介によって知り合った教授とRC忌野さんとで「い・け・な・いルージュマジック」を共演。尚、この頃YMOのメンバーは糸井氏が司会を務めていたNHK教育の番組「YOU」にも出演していた。細野氏はYENレーベルを立ち上げてソロアルバム「Philharmony」を出したり、映画「居酒屋兆治」にダメな市役所員・佐野役で出演。ユキヒロ氏は堅実に「ユキヒロツアー82」をやったり、ソロアルバム「WHAT, ME WORRY?」とか出してました。当初は82年にウィンターライブ形式で海外ツアーを行う案もあったようですが、海外からオフォーがなかったことや既にメンバー自身がYMOの海外進出を諦めていた感じだったので解散を念頭に入れたソロ活動中心の1年となったと言える。この点、アルファの村井社長はYMO結成時にあれだけ海外進出に意欲を沸かせていたメンバー(特に細野氏)がたった2回の海外ツアーで挫折?断念?したことに「体力がない、ハングリーさがない」というような内容の発言を後日残している。ま、仮に海外進出したとしても10年も20年も続くようなメンバーぢゃないってことはわかってたでしょうけどね。(笑)