アフターサーヴィス
02/22/84発売
国内売上143,330枚(発売~1997年)
オリコン最高2位



Propaganda
作曲:YMO 編曲:YMO
怪獣映画の音楽ような不気味な音楽で始まり、「お、気合入ってるかも」と思ったんですが。。。(笑)

Tong Poo
きれいな東風って感じ。ボコボコ音が好きです。

Behind The Mask
ボコーダーを使わない生々しい教授のボーカルが聴けます。出だしに観客の手拍子入り。(爆)因みに、細かいことですが、散開ライブでは教授のキーボードはメインのProphet5に加えてProphetT8も使われている。

Solid State Survivor
やっぱソリッドだけはアナログシンセでグチャグチャに汚した音が聴きたかった。(涙)

La Femme Chinoise
ユキヒロ氏のボーカルの極端なアレンジにより、聴き方次第では違う曲のように聴こえる。シャンソン聴いてるみたい。(爆)この曲からドラムスに元ABCのデビッド・パーマー氏が加わり、ユキヒロ氏はしばらくボーカルに専念する。当初は元Japanのスティーブ・ジャンセン氏にドラムを依頼していたようですがスケジュールが合わなかったらしい。で、代わりにパーマー氏に頼んでみたところ、なんとABCを脱退してまで日本に駆け付けたという。(笑) 因みに、ユキヒロ氏は散開ツアーでシモンズのシンドラムを使ってますけど、パッドは単なるトリガーで実際にはリンドラムの音源を使用していたそうです。2回目のワールドツアーでもユキヒロ氏はイシバシ楽器と協力して開発したドラムの淵に取り付ける発振器「BIAS」を使ってホワイトノイズのようなノイジーな音を出したりと、流石にドラムに関してはオタクレベルのこだわりがあったようです。自称、ホワイトノイズ研究家だとか。(笑)

音楽
この曲はどんな演奏しても栄える曲ですな。教授が「東風」の次に好きな曲だそうです。3番目は「ライディーン」だそうですよ。(笑)

Ballet
81年のウインターライブのときより演奏がうまい。やはり機材の進歩によるものなのだろうか???(謎)

Wild Ambitions
アルバムのオリジナルを聴いているかのような感じです。やはりプリプロダクションすると演奏人にとっては楽そうですね。

希望の河
今から思うと、あの右翼主義的ステージセットでよくこの曲演奏したなあって感じ。合わなすぎ。(笑)

Key
ウインターライブのときのように教授の「何してんのぉ~!?」のお叫びを期待したが、無理だった。(涙)

Technopolis
ま、旧TMネットワークのライブ風テクノポリスとでも申しましょうか。ライディーンへはノンストップでつながります。

Rydeen
ステージにナチス風の服を着た外人のお姉さんたちがゾロゾロ出てきてYMOと書いてあるでっかい旗を振っていたのが不気味だった。(怖)

以心電信
ここからアンコール。君に胸キュンに次ぐほどテレビ番組での演奏回数が多かった曲なので演奏は慣れきっている感じでしたね。

過激な淑女
作詞:松本隆 作曲:YMO 編曲:YMO
この曲のオリジナルはアルバムには入ってなくてシングルのみで発売されました。ま、この演奏はほとんどオリジナルと言ってもよいですけど。元々、細野氏が中森明菜さん用に書いた曲ですが、中森さんが拒否したためボツとなっていたのをYMOで出した強引業です。エピソードとして、中森さんのマネージャーはこの曲をとても気に入ってたみたいで、後に細野氏が「禁句」という曲を書くことになったらしいです。(笑)ちなみに、この曲はYMO初の振り付け入り曲となっています。踊ってるんです!ジャニーズかよ?(爆)

君に胸キュン
絶対演奏するだろうなと思った。もう誰にも止められないって感じでしたね。(笑)

Firecracker
記念すべきYMOライブのラスト曲(←アンコールのアンコール曲)はやはりこの曲でした。この曲であることに意味があるのです。(一同納得)演奏終了後の武道館うぐいす嬢の声まで入ってますよ。(笑)



★アルバム解説★
このアルバムはYMO散開ライブ(83年12月12日・13日/日本武道館)を収録したものです。ちなみに、主宰人は13日の武道館公演の目撃者です。当時ようやく中学生になった主宰人のYMO初体験が早くも散開ライブでした。ま、最後だけでも生YMOを目撃できただけ光栄でした。ということで、このライブについて書けと言われれば論文級になってしまうので、解説のみにしときます。まず、この散開ライブツアーではマイナスワンテープを使用したプリプロが行われていたことや楽器機材の多くがデジタル化されていたので、ツアーの初日から最終日まで全く同じ演奏で行われました。その点が、YMOマニアの間では物足りないということになってます。ゲストメンバーにはパーカッションにデビッド・パーマー氏が参加してましたが、初期のライブからいつも必ずいた松武氏の姿はなし。デジタル化の波が彼をリストラか?(笑)このツアーの舞台ステージ(←妹尾河童氏が担当)はなんとナチスの演説台をイメージしたステージとなってまして、異様な雰囲気に包まれてました。散開コンサートにファシスト風テーマを取り入れたのは佐藤信氏のアイデアだったらしい。YMOというカリスマ的ブランド性とナチスの独裁的なイメージを合わせたのでしょうが、そもそも、初期のテクノポップ曲から後期の歌謡曲をひっくるめてあのステージセットでやることに無理がある。(笑)余談ですが、武道館の音はヒドイ(←反響音が)ですよねー。主宰人は2階席だったので、特にヒドかった。ま、もともと格闘するところですからねえ。しかたがないか。アルバムではよくマスタリングしてあると思う。LPの収録時間数の関係で数曲カットされていますが、後に全曲収録の2枚組CDが発売された。さらにブライアン・イーノによってミックスされた「コンプリートサーヴィス」や1万セット限定の「テクノ・バイブル」というCDボックスも出てました。ジャケの「日の丸に猿」の意味ですが、細野氏曰く、「日本で有名なYMOが去る。(猿)」という意味だそうです。(←誰も信じてくれない。とほほ。)ちなみに、YMOの解散については栗本慎一郎氏との座談会で提案されたと言われてますが、実際は既にアルファレコード社長の村井氏から細野氏にYMO解散話を持ちかけていたようです。本人たちから解散話を出しにくかったのかも? 当初は「解散」「散会」「散解」とかいろいろ言われてましたけど、「散開」という言葉を提示したのは村井社長みたいです。何故、「解散」ではなく「散開」という言葉を使ったかというと、「解散と言うとファンがショックを受けるかもしれないので、散開という軍隊用語を使った。(細野氏談)」ということです。わざわざお気を遣っていただき誠に恐縮でしたという感じでしたけど、「解散」でも全くショックはなかったと思います。(笑) 散開表明は雑誌「GORO」のインタビューやユキヒロ氏のラジオ番組「オールナイトニッポン」などで宣言された。細野氏は「解散が趣味」と言っていた時期もあるぐらいなので、YMOで5年はよく頑張ったなと思います。(笑)尚、日本武道館のYMO散開ライブの模様は映画「プロバガンダ」(監督/佐藤信氏)やDVD「YMO伝説」でも見ることができる。