
テクノドン
05/26/93発売
国内売上推定約40万枚(発売~1997年)
オリコン順位およそ圏外
◆Be A Superman
作詞・作曲:高橋幸宏・坂本龍一 編曲:YMO
典型的なYMOテクノという感じの曲です。出だしの音は師匠であるクラフトワークの「ミラー」を彷彿させます。ベースはジュピター8を使用。日本語訛りの「す~ぱ~まん」はNYで教授が行きつけの飲食店?で働いていた日本人女性(カミヤ・ルリコさん)だそうです。彼女は「Silence of Time」でも歌ってます。ウイリアム・バロウズ氏の声もめちゃ渋いです。シングルカット曲。
◆Nanga Def?
作詞:坂本龍一 作曲:YMO 編曲:YMO
細野氏がよく口にする「音響系抽象テクノ」です。「ナンガ・デフ・マグ・ニフェレク・ウォ・ウォ。」のフレーズがアフリカっぽくてよいです。どーゆー意味なのか是非知りたいもんです。が、えてして意味は知らない方がよい場合もあったりする。(笑)
◆Floating Away
作詞:ウィリアム・ギブソン 作曲:高橋幸宏・細野晴臣 編曲:YMO
雰囲気がタマんない曲です。詩の朗読は親日家の米国サイバーパンク作家のウイリアム・ギブソン氏。詩の内容は同氏が来日時に東京のイメージを綴ったもの。
◆Dolphnicity
作曲:細野晴臣 編曲:YMO
当時、細野氏は「クジラの会」というやつでハワイに見学しに行ったのがきっかけでイルカにハマったらしいです。イルカの学者?にも頼んで曲のためにデータとかを提供してもらったようです。さすが、ハリーさん。(笑)
◆Hi-Tech Hippies
作詞・作曲:YMO 編曲:YMO
旧YMOのキュート?な味を残す曲です。(笑)ちなみに、旧YMOのアルバム「浮気なぼくら」のタイトル開発コード名は「キュート」だったらしい。
◆I Tre Merli
作曲:YMO 編曲:YMO
この曲はユキヒロ氏曰く、「ライディーンと同じ発想で作りました。」です。黒沢映画の「街道もののイメージ」だそうです。重低音がかっこいい曲です。米国のカルト的小説家のウイリアム・バロウズ氏(97年没)が直々にDATテープに自身のモノローグを朗読して提供。ちなみに、「I Tre Merli」はNYで有名なイタリアンレストランの名前。意味は3羽のカラス。主宰人もこのレストランにはNY在住時に行ったことがある。そのときもらってきた店のマッチは今でも記念品として保管してある。(笑)
◆Nostalgia
作曲:YMO 編曲:YMO
音響系抽象テクノです。怪しげな感じは、旧YMOの「Castalia」に通じるものがあります。
◆Silence of Time
作曲:坂本龍一 編曲:YMO
エピソードがない系の曲なので、YMO豆知識その1:細野氏とユキヒロ氏の出会いは細野氏が大学生当時、高校生のユキヒロ氏と軽井沢の音楽パーティーで。
◆Waterford
作曲:高橋幸宏・坂本龍一 編曲:YMO
エピソードがない系の曲なので、YMO豆知識その2:教授とユキヒロ氏の出会いは日比谷野音で行われた山下達郎バンドとサディスティックスの対バンで。
◆O.K.
作詞:細野晴臣 作曲:高橋幸宏・細野晴臣 編曲:YMO
エピソードがない系の曲なので、YMO豆知識その3:教授と細野氏の出会いは大滝詠一氏の自宅のお風呂場の前で。(爆)
◆Chance
作曲:坂本龍一 編曲:YMO
このアルバムの中では唯一の流行系テクノです。当時はみなさん、コレ系を望んでいたに違いありません。教授がファンサービスとしてYMOがYMOをサンプリしたらどうなるか試しにやってみたそうです。旧YMO音源サンプリしまくり~の、なかなかメカニズムしてます。最後のわずか1秒のライディーンが強烈な印象をもたらします。(笑) 但し、この頃のYMOの楽曲は東芝EMI扱いだったからなのか、著作権絡みで旧YMOのマスター音源からサンプリできなかったため再現させたものらしい。自分たちが作った音なのにそれを使えないとは。。。公的抑圧を思い出す。
◆Pocketful of Rainbows
作詞・作曲:フレッド・ワイスマン&ベン・ウィスマン 和訳:湯川レイ子 編曲:YMO
コレはアルバム中、異色の歌謡曲となってます。エルビス・プレスリー氏のカバー曲です。TBSのドラマ「谷口六三商店」のテーマ曲にもなりました。メンバーはドラマのテーマ曲は拒んだらしいですが、外部からの圧力により結局採用決定。(その後、細野氏がアルバムプロデューサー役を降り、曲作りのみに関わることになる。)このへんが、このアルバムを旬の企画物というイメージを強くしてしまった理由でもあります。シングルカット曲
★アルバム解説★
YMOとしては散開後、9年3ヶ月ぶりのアルバムです。YMO再結成話はJSB立ち上げ時にも計画されたものの実現には至らなかったようですが、再生YMOは事務所サイドによる完全な緘口令の下で進められた。1993年2月5日の読売夕刊に「私は反対でした 矢野顕子」と掲載されて話題となった。当時、細野氏は再生YMOは「YMOを終わらせるための儀式」と語っていた。 しかし、このアルバムは単に再生YMOプロジェクトの一環として発売されたので、記念アルバム的要素が強いです。かつてのデビューアルバムのような強烈な個性は薄く、シーンの流行を行く濃いテクノは避け、90年代のテクノブームをYMO的に解釈した内容となってます。ミキサーはゴー・ホトダ氏。旧YMO時代の音楽とはかなり変化してますが、だからと言って革新的?とかチャラケか?というとそれほどでもなく、中途半端なアルバムとなってます。(←辛口)実際、メンバーも後になって「昔のようなバイブル曲が出なかったのが残念。」と敗戦を認めております。(汗)とは言いながらも、腐ってもYMOです。アルバム制作開始当初、メンバーには完全アコースティック路線という案もあったらしいですが、パブリックからのプレッシャーはやはりそれを許さなかったのでしょう。多くのYMOマニアとしては、テクノ機運がアレだけ高まっていたあの時期に、あえてテクノをヤラないという「ウラぎり」はYMOの常套手段として大アリだと思っていたのですが。。。やけに素直になった再生YMO。(爆)ベッドに寝ながら行われたに再生記者会見で、細野氏が「このアルバムは旧YMO当時に小学生だった世代のために作った。」というゴマすり発言?!を聞いて多くのYMOチルドレンが感動した?ですよね。(笑)このアルバムではレコード会社の関係から「YMO」の名義が使えず(アルファーが商標登録していた!)、迷った挙句にYMOにバッテン印付けるという強引技に出てます。アルバム名の「テクノドン」には「テクノの恐竜」や「テクノ道」や「テクノ丼」という意味が掛け合わされているらしい。ジャケの衣装はユキヒロ氏がサイボーグのチャップリンをイメージしてデザインしたもの。ちなみに、初回限定版はCDケース表面の丸い格子に添付のブックレットに書いてある暗号模様みたいなところをスリットさせると文字(英語)が浮き出る仕様になってましたが、超使い難い+全く意味不明で、おもいっきしハズしてました。(笑)東京ドームの再生コンサートを収めた「テクノドンライブビデオ(初回版)」の付属品はYMO腕時計であった。尚、東京ドーム再生コンサートの前座はジ・オーブ。参考までに1980年のYMOワールドツアー(イギリス公演)の前座はコムサット・エンジェルスだった。余談ですが、再生コンサートの演奏は基本的にシーケンサーを使って生演奏されましたが、東京ドームの地下に巨大な発電機があるため、その影響でコンピューターがフリーズする可能性を想定して一応テープと同期させておき、いつでもテープに切り替えれるように準備していたらしいです。そこまでやるなら最初からテープでやりゃあいーんぢゃねとも思いますが、教授と細野氏が「テープは音が悪いから」と言う理由で。。。演奏中にトラブルがあると一番困るであろうドラム担当のユキヒロ氏の意見は蚊帳の外?(笑)